筒井氏と中坊氏,京都 中坊

中坊進二 京都,中坊進二

筒井氏と中坊氏

永禄十一年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛してくると、松永久秀はただちに信長に通じて大和経略を許された。順慶も信長に通じようとしたが許されず、筒井氏は苦闘の時代が続いた。その後、久秀は武田信玄に通じて信長に反旗を翻すなどしたが、滅亡にはいたらず信長麾下にあった。天正二年(1574)正月、中坊飛騨守は筒井順慶の織田信長への接近の足固めのために岐阜の信長のところに上り、その..........

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京都 中坊

【中世における中坊氏】 定次改易の一件に関しては、大坂城の豊臣氏を討とうと画策する家康にとって伊賀の筒井定次は邪魔な存在であり、飛騨守をして讒言させて取り除いたのだとする説もある。たしかに、定次が没落したのち飛騨守秀祐は奈良奉行に任じられ、また吉野において三千五百石を賜った。飛騨守讒言説もにわかに真実味をおびてくるが、真相は薮の中というしかない。  ちなみに、定次の..........

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